第205回
クリエイティブ読書会2025
――出版社のメンバーは本をどう読むのか?(前編)
2026.01.07更新
新年おめでとうございます。今年もミシマガジンをどうぞよろしくお願いいたします。
さて、ミシマ社は、昨年末に「クリエイティブ読書会」なるものを敢行しました。
クリエイティブ読書とは、「こんな読み方があったのか!」と本の楽しみ方が広がる、創造的な読書のこと。
日頃からゲラを読み、そこから本の作り方・届け方のアイデアを広げているメンバーたちは、どんなふうに読書するのか?
2025年に刊行したすべての新刊を読み返し、語り合いました。担当編集や営業も唸る「驚きの読み」が連発します!
2025年入社の新人ニシカワ(左奥)もクリエイティブな読みを披露。一同「なるほど~!」
(収録:2025年12月23日)
小説家だから書けるルポルタージュ
【読んだ本】万城目学『新版 ザ・万字固め』/2025年1月刊
スミ 刊行時にも読みましたし、その前の旧版『ザ・万字固め』も読んでいましたが、今回この読書会のためにあらためて読み返してみて、驚異的に面白くてびっくりしました。よく「声を上げて笑いました」とか「吹き出すので電車の中では読めません」という言い方があると思うんですけど、本当に全エッセイで思わず笑い声が漏れたのはこの本がはじめてかもしれないです。
そのなかで今日取り上げたいのは、「やけどのあと(2011東京電力株主総会リポート)」という文章です。
万城目さんはかつて東京電力の株を大量に保有していて、東日本大震災の原発事故直後に株が大暴落したあと、株主総会に参加する・・・という一部始終が綴られるレポートなのですが、ルポルタージュの新しい世界を切り開いていると思いました。
この日、株主総会に参加した人数は九千を超えた。そのうち、私がいる第一会場に入れたのは四割程度だったろう。あとからやってきて、第一会場に入れないと不満を訴える株主たちに、私はどちらかと言えば冷たい眼差しを送った。これだけ注目されている株主総会である。(...)早く会場に来るしかない。私は当日、いつもどおり朝五時まで仕事をしたが、二時間だけ寝て、八時には家を出て、一時間前の会場到着を目指した。三十分前に到着しても、後ろのほうならまだ座れた。ぎりぎりに来て、ちゃっかりいい場所を取ろうなんて、株主の権利うんぬんの前に、ちゃんちゃら甘いのである。
などと、意地悪く考えている間も、テレビですっかり見慣れた清水社長の淡々とした口調の説明は続いていた。「今期は一兆二千四百七十三億円のマイナス」という言葉に、これだけ損を出しても潰れない会社ってどういう作りなんだろう、と茫漠とした感情をもてあそんだ。
いつの間にか、会場の暑さは気にならなくなっていた。
長い長い株主総会は、まだ始まったばかりだった。
――『新版 ザ・万字固め』p.153より
事故直後の株主総会という、深刻で緊張する場面のはずですが、やはりここでも笑わせてくる文章。私の場合、ジャーナリスティックな重い文章を読むとかなりエネルギーを使うのですが、この文章はすいすい読めるのに、問題の本質を射抜いていく流れがすごい。小説家だからこそ書けるエッセイの醍醐味だと思います。
ヤマダ 営業の立場からお話しすると、この本はミシマ社ではじめて「新版」として出した本で、正直なところ読者の方にどんなふうに受け止められるのかが未知数だったのですが、実際にはふつうの新刊と同じように売れて、増刷もかかりました。いい本は内容が古びないし、今この時代に出してもしっかり届くんだなと気づきました。
ハセガワ 編集担当の星野さんが、新版にするにあたってデザイナーの尾原史和さん(BOOTLEG)に「文章を読んでもらう」ことを重視した装丁をお願いしたと言っていましたよね。前のデザインも大好きですが、新しいデザインができたときに、同じ本でこんなに見せ方が変わるということがすごく面白いと思いました。
「ミシマ社通信」を書くための読み方
【読んだ本】武田裕煕・最相葉月『口笛のはなし』/2025年2月刊
ハセガワ 私は「仕掛け屋をするときの読書」について、あらためて考えてみました。今日は「ミシマ社通信」編です。

私が思うミシマ社通信を書くときのポイントは二つあって、一つはかわいい手書き文字、もうひとつは本への愛情がつまった紹介文です。具体的に言うと、自分の言葉で本の内容を伝える、ってことになるのかなと思います。
でもそれが行きすぎると、自分勝手な解釈になっちゃう。だから、ミシマ社通信を書くための読書では、①本としての大事な部分やおもしろポイントと、②超個人的な理由でグッと来たところ、両方に線を引いておきます。客観的/個人的どっちの視点も行き来しながら、二つの要素をガッチャンコして文章を作るイメージです。
『口笛のはなし』でいうと、
① 本としての大事な部分やおもしろポイント
ライターの最相葉月さんが口笛奏者の武田裕煕さんにインタビュー。武田さんが世界大会で一位になったという話の流れから・・・
最相 趣味で口笛を吹いていた頃と違うことってなんでしょう?
武田 やっぱり、口笛という看板を背負っているという意識でしょうか。〈略〉口笛という楽器に泥を塗らないようにしないといけないなと思っています。
最相 今、口笛という楽器とおっしゃいましたね。
武田 はい。
最相 どういう意味ですか、口笛は楽器ですか?
ーー『口笛のはなし』p.74 より
② 超個人的な理由でグッと来たところ

この本は『胎児のはなし』につづく、最相さんの「はなしシリーズ(と社内では言ってます)」ですが、どちらもあまりに身近すぎて(だってみんな「胎児」だったし、「口」笛をもっているし)見過ごしていたものが実はめちゃめちゃ奥深かった、っていう内容です。最相さんの着眼点や鋭い突っ込み、対話によってだんだんと世界がひらけてゆく過程にはある種のスリルも感じます。
QRコードは・・・マジですごい。1800年代の口笛音楽が聴けたり、武田さんの技巧を実際に観ることができます。一人で二重音を出しているのとか、めちゃくちゃ感動しました。
ヤマダ QRコードはどういう経緯でいれることになったんですか?
ノザキ(※担当編集) 「音を聴けるのがいいですよね」ということは早いうちにあがってて。音が大事な本なので。
YouTubeやSpotifyもたくさん調べたり、スミちゃんに図書館で、サンプルになりそうな本をひたすら探してもらって。
スミ 鳥の鳴き声図鑑とか見ましたよね!
一枚の絵のみかたはいろいろある
【読んだ本】みなはむ『はるってなんか』/2025年2月刊
スガ この本の営業について振り返って、最初に思いつくのはオンラインで書店員さんに読み聞かせしたことです。最初は誰もいなかったんですが、書店員さんが一人だけ参加してくれて感激しました。
ハセガワ やってたやってた。
スガ みなはむさんは、イラストレーターを志す方やサブカルチャーに関心を持つ若い人から大きな支持を集めている作家さんです。『はるってなんか』もそうした若者に届く現代春の景色を描きながら、俳句のように「日本の春」という伝統的な季節感も捉えられていて、古今の春のそれぞれの魅力が組み合わされています。
主人公の心が春という季節に駆り立てられて、「はるってなんかウキウキする」「フワフワする」とか、いろいろな思いが生まれてます。
その中で一番印象的なのは「はるって このままではいられない」という言葉。春って晴れやかなだけじゃなくって、ちょっと切なくて落ち着かない感じもある。それが絵本っていう形で描かれているのが新しいですよね。
せっかくなのでこのページっていうのを選びたいんですけど、難しい・・・。ここにします。この水滴のページ。

絵だからこその鮮やかさがあって心を奪われるんですけど、まずは水滴って絵で描けるんだなと驚きました。
ニシカワ 1個だけいいですか? 今スガさんが紹介したページで、個人的に推理していることを言いたいんですが。
ミシマ なになに?
ニシカワ 最初はカメラで水滴をとらえたところを描いた絵なのだと思っていたんですが、よく見ると何かに当たって雫が流れているようにも見えるじゃないですか。だからビニール傘の中から、雨が当たって流れているところ見上げているんじゃないかなって思いました。
一同 おおー。
雑誌が生命力を得る転換点
【読んだ本】中島岳志(編)『RITA MAGAZINE2 死者とテクノロジー』/2025年3月刊
ミシマ 今日取り上げたいのは、平野啓一郎さん・中島岳志さん・高木良子さんの鼎談「AIが死者を再現するとき~小説『本心』をめぐって」です。
鼎談の収録(イベント配信)にも立ち会いましたが、本当に震える時間でした。
このやりとりを読んでいただきたいです。
中島 考えてみたいのは、そっくりに再現するということが、亡くなった人との豊かなコミュニケーションを紡ぐわけでは必ずしもない、という点です。たとえば「桜を見たときにあの人を思い出す」というふうに、私たちの中に内在している力が引き出されたときに、より死者のリアリティを感じるということがある。死者とのリアルな関係性が、自分たちの中で生成されていくということですね。
(・・・)
平野 僕がずっと考えてきたことで、これは中島さんとやや考えが違うところかもしれないのですが、「死者の声を聴く」ということに対して抵抗があるんです。というのも、先ほど話したように、僕は父親についての記憶がまったくありません。父親がどういうことを考えていて、今生きていたらどういうことを言うか、というのは僕が最も知りたいことの一つなんですけど、どこまで考えても、やっぱり僕が父に語ってほしいことを、父がこう言うであろうということにかぶせているようにしか思えないんです。
ーー『RITA MAGAZINE2 死者とテクノロジー』p.94,95より
本誌編集長の中島さんは、「利他」の問題を考えるときに「死者」というものが重要であると長年おっしゃっていて、巻頭に「利他的な死者」という素晴らしい論考も寄せてくださっています。
そのなかで、平野さんが「『死者の声を聴く』ということに対して抵抗があるんです」と口にされたことで、対話がぐっと深まり、この雑誌の唯一無二の議論に展開していったと思います。雑誌が生命力を持ちえたひとつの理由は、この転換点があったからじゃないか、という読みを僕はしています。
ホシノ 私が編集長の中島さんがすごいなと思ったところは、利他からテクノロジーを考えるという企画を立てるときに、テクノロジーを批判的するような結論を見据えて構成されるのかと思いきや、そうではなかったというところです。死者の領域にテクノロジーが入ってくることはある種必然という時代の流れをふまえたうえで、仏壇のデジタル化や、「ドローン仏」で供養するお寺の話など、本当にいろいろな発想や動きをしている方たちが出てきて、考え方の角度がたくさんあるところが面白い雑誌だと思っています。
ハセガワ この鼎談のオンライン配信を見ていて、いい意味でとても緊張感があったことを思い出しました。利他と死者の関係についての中島先生のお話はこれまでも読んできて、疑問の余地はないと思っていたのですが、平野さんが新しい問いを投げかけられたことで、自分はどう考えるのか、という根本を私も問われた気がして、ドキドキしながら配信を見た記憶があります。
偶然選んだところを読む、340分の2ページ読書
【読んだ本】伊原康隆・藤原辰史『学ぶとは 数学と歴史学の対話』/2025年4月刊
ノザキ そもそもこの「クリエイティブ読書会」の始まりは、三島さんが昨年10月に啓林堂書店さんで行ったイベントでした。その時は、三島さんが「本の中から1〜2ページを指定して、集まった方々とその場で読み、そこに書かれている内容だけで、本のタイトルを考える」という読書の方法を実践していたんです。
私は、この方法に近い形でやってみたいと思います。選んだのは、p110-p111です。
選び方にオリジナリティを持たせたいなと思って、「適当に目をつぶって開いたところ」がここでした。
これもお恥ずかしい話ですが、橋本(伸也)さんの研究会に出席するまで、ジェノサイドという言葉を恣意的に用いる昨今の政治現象をきちんと把握していませんでした。歴史の解釈そのものが、学問的な手続きを軽視したかたちで国家間の争いの場になっています。日本の歴史修正主義も例外ではありません。幸いに私は、ジェノサイドという言葉を拙著で乱用してこなかったはずですが、果たしてどれほどこの言葉のもつ政治性について考えてきたかと問われれば、甚だ自信がありません。
ーー『学ぶとは 数学と歴史学の対話』p.110,111
『学ぶとは』は、数学者の伊原康隆さんと、歴史学者の藤原辰史さんの往復書簡で、各話にタイトルがついています。
まず読むページを選び、どんなタイトルがついた文章なのかを想像しながら読む。
先に答えを言ってしまいますが、「簡単にわかった気にならないこと」という、藤原さんのパートでした。何度も読んできたはずなのに、この読み方をしてからタイトルを見たとき、とてもゾクゾクしたんです。
ミシマ社としては久しぶりの上製本、340ページの厚みがあり、価格は史上最高の3500円。「全部読み切れてなくて...」「まだ初めのほうで...」「でもなんとか読み進めたいと思っています」というような、この本にチャレンジしてくださる方の声をたくさん聞きました。
でも、内容の密度がとにかく濃いので、読み切れなくても、2ページだけ読んでも、いいと思います。偶然選んだ2ページを真剣に読む読書、おすすめです。
ミシマ 核心のところを選んだのかと思いきや、そうじゃないのが面白い。
ヤマダ この本は書店員さんもすごく熱い感想を送ってくださってたのが印象的でした。生活と学びをつなげる本だなと思っていて、働きながらも学びたい、学んでいる、という人に届けたいなと思って営業してました。
スガ 3500円の価格の話で、とくに個人書店の方から「本の価格は出版社さん側であげてもらわないと」という声も結構あって、その点でも喜ばれた本だったかなと思います。
会話が噛み合っていないところを大事にする
【読んだ本】堀部安嗣・中島岳志『建築と利他』/2025年5月刊
ホシノ『建築と利他』、まずは1カ所読みたいと思います。
中島 堀部さんの建てている建物には、結構余白があるじゃないですか。(略)そういう「余白」は、考えて設計されるんですか?
堀部 今、パッと思いついたことなのですが、たとえばリビングとか、ご飯を食べる場所というのは、家の表舞台ですよね。それとは反対に、ユーティリティとか、納戸とか、まあ台所もそうかもしれませんが、そういう裏方、バックスペースがあります。僕は、リビングとか食堂にはあんまり力を入れないんです。
ーー『建築と利他』p.74ページ 第3章 住まいの重心を下げる
私はこのやりとりに、この本の面白さが象徴されていると思うのですが、中島さんの「『余白』は、考えて設計されるんですか?」という問いに対して、堀部さんが直接は答えていないという場面なんですね。
本書には、そういうやりとりが多いのですが、編集者として対談を原稿にまとめる、あるいは自分が対談本を読むときに、こういう、2人の会話が直接的には噛み合っていないところは、活かして大事にしようとします。そういうときって、たぶん受け手が何かを思いついたり、考えが蠢いたりしているんですよね。
新聞のインタビューや雑誌での短めの対談だと、一問一答スタイルに近くなると思うのですが、対談本は、8万字とかをかけられるので、ずれたり話が飛んでも、一冊を通して回収されればいいというのが、このジャンルのおもしろさじゃないかなと。
ミシマ AIが対談をまとめる時代になってきていると思うけど、それだとカットされてしまうようなところに、じつはおもしろさとか、対話の臨場感があったりするんですよね。
ハセガワ ずれて返ってきた答えを、相手の中島先生がまた受け止める、その器がまたすごいですよね。
ホシノ 本当にそう思います。相手を信頼してずれられることや、どう転ぶかわからない緊張感が、対談本の肝なのかなと今思いました。
前田エマさんはポストコロナの先駆者だった
【読んだ本】前田エマ『過去の学生』/2025年6月刊
ニシカワ まずは本書に収録されている「鰻」というエッセイの内容を簡単に説明します。
数年前、筆者の母と弟がインフルエンザにかかった。筆者は、三人暮らしの中で自分だけは健康を保たねばならないと考え、徹底した隔離と衛生管理を行った。飲食店でのアルバイト経験を活かし、消毒や食事作りを効率的にこなしたが、その態度は家族から「冷たい」と受け取られていた。
心配した祖母から「鰻でも食べて元気を出しなさい」と言われる。筆者はそれを「自分が元気でいるための栄養補給」と解釈し、ひとりで鰻を食べた。ところが後日、その言葉は「三人で鰻を食べて元気を出してほしい」という意味だったことがわかり、家族から配慮が足りないと責められる。筆者は、病人には消化のよい食事が最善であり、非常時に動ける人間がいることこそ重要だと考えていた。
自分なりに最善を尽くしたはずの行動が、他者には非常識に映る。そのズレは幼少期から繰り返し経験してきたものだったと振り返る。大人になるにつれ露骨な非難は減ったものの、自分が変わったのか、周囲が気を遣うようになっただけなのかは分からないままだ。
『過去の学生』p.44〜p.47 「鰻」の説明
僕はこの話を読んで、筆者のエマさんが冷たい人だというよりも、時代のほうが追いついてきているんじゃないかと思ったんです。コロナ以前は看病が優先されていたけれど、今は隔離や自衛が当たり前になっていますよね。
ノザキ そうきたか・・・。この本を読む上で時代という視点が抜けてたなと思います。
価値観は世代ごとに違って、その中でこの出来事は起きている。そう考えると、一見とても個人的だけれど、実は社会の話でもあるんですよね。今の私たちがどう読むかだけでなく、たとえば50年後に読まれたとき、どんな「当たり前」が前提になるのかを想像すると、読みの可能性はまだまだ広がると感じました。
ミシマ 編集者として、もし書評の見出しをつけるなら「前田エマはポストコロナの先駆者だった」ですね。20年先の価値観を生きていた人として読むと、学ぶべき存在として立ち上がってくる。そういうふうに読んでもらうのはありだと思いました。
全世代のお母さん
【読んだ本】三砂ちづる『心の鎧の下ろし方』/2025年6月刊
ヤマダ これまでミシマ社から三砂ちづるさんの書籍は『女たちが、なにか、おかしい』『自分と他人の許し方、あるいは愛し方』の2冊が出ていて、今回の『心の鎧の下ろし方』が3冊目ですが、これまでとの大きな違いが、三砂さんが竹富島に移住されたことだと感じました。ブラジルでの子育てなどの幅広いご経験に、さらに八重山地方の独自の物事の捉え方も加わって、より一層エッセイの深みが増しているんです。
私が特に印象的だったが、「つかないぱんたー」というエッセイです。
「つかないぱんたー」とは、八重山地方の言葉で「子どもや家族にあれこれお金や労力がかかり、本当に大変な時期に頑張っていること」を指すそうです。そんな「つかないぱんたー」な時期について、三砂さんはこんなことをおっしゃっています。
「つかないぱんたー」な時期は、大変だけど、必ず終わるのである。
潮が引くように周りから人がいなくなっていく。そのときに、「つかないぱんたー」な時期の思い出を、ゆっくりと、味わい深い飴玉のように舌先で転がして、自分ひとりの時間を楽しめるだろうか。
ーー『心の鎧の下ろし方』p.151
まだまだ私自身は「つかないぱんたー」な時期を迎える前ですが、自分がそのような状況に置かれたときに、この三砂さんのロングスパンな視点を通した言葉を思い出すだけで、「忙しくて大変な時期」という見方が変わってくると思うんです。
ホシノ 三砂さんは、切なさとか哀愁を書くのが上手い書き手だと思っています。このエッセイもまさにそんな三砂さんの魅力が詰まっている箇所だと思って聞いていました。
ミシマ 三砂さんは「全世代のお母さん」ですよね。この箇所も、ひとつのクリアな意味を持つわけじゃない、幅と余白を持たせた言葉を提示しながら、それぞれが抱えていた心の淀みのようなものを全部包みこんでくれる。三砂さんでしかできない仕事をやってくださっていると感じます。
(後編は明日1/8(木)公開予定です)
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ミシマ社ラジオで忘年会の様子をお届けしています!

ミシマ社のポッドキャスト「ミシマ社ラジオ」。第30回「ミシマ社京都オフィス全員集合!」を公開しました。2025年最後のエピソードということで、京都メンバーの忘年会の様子をお届けします。
今年3月入社の営業ニシカワをゲストにいろいろとお話を聞く予定が、フジモト家の寸劇がはじまったり、なんだかいつもとちがう雰囲気に・・・。
新刊『ちゃぶ台14 特集:お金、闇夜で元気にまわる』の話もしっかりしております。本誌の制作を通して、ミシマがウィー東城店の佐藤友則さんから学んだ「引き算の経済」とは?
ミシマ社の本屋さん、久しぶりに限定オープン!

出版社・ミシマ社が運営する京都オフィス併設の小さな本屋「ミシマ社の本屋さん」は、2020年4月より休業、2022年7月をもって営業を終了していました。このたび、およそ3年半ぶりに実店舗での営業をします! ぜひお立ち寄りください。
日程:2026年1月30日(金)
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